大谷翔平が花巻東高校に進学した理由には、埼玉西武ライオンズで活躍する菊池雄星投手の存在があった。花巻東高校の菊池雄星が甲子園で活躍していなかったら、大谷は別の高校を選んでいた可能性はある。
ここでは大谷と菊池の関係についてみていきたいと思う。
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大谷翔平が花巻東高校進学を決めたのは菊池雄星の甲子園での活躍があったから。練習スタイルも気に入る。
大谷が中学3年生だった2009年、高校の進学先については迷っていた。岩手県内の高校だけでなく、他の県の強豪校からも注目を浴びていた大谷は、色んな選択肢が残されていた。
その2009年、大谷が後に進学する花巻東高校は甲子園で大躍進を遂げる。その中心となったのが、後に埼玉西武ライオンズに入団する菊池雄星。菊池の活躍で花巻東高校は春のセンバツ甲子園では準優勝、夏の選手権大会でもベスト4の好成績を残した。
花巻東高校の甲子園での活躍を見た大谷は、花巻東高校への進学に興味を持ち、学校見学で見た野球部の練習スタイルが気に入ったそうだ。両親としても岩手県内の高校に進学して欲しいという思いがあったため、大谷は花巻東高校へ進学することを決めた。
大谷翔平と菊池雄星は3学年違い。中学3年生で菊池の野球を見れたことが大きかった。
菊池雄星と大谷は3学年違いのため、花巻東高校のグラウンドで同じ時間を過ごすことはなかった。だが、花巻東高校の佐々木監督は、菊池の代の野球を大谷が中学3年生の時に見たことは大きかったと思う、と話している。
当時は菊池の活躍もあって、岩手県全体が高校野球に熱狂し、こんなにも多くの人を盛り上げることができるのだということを、大谷は中学3年生で体験することができた。もし菊池の活躍がなければ、大谷は他の県の高校に行っていた可能性も高く、大谷の野球人生は大きく変わったものになっていたかもしれない。
全ては巡り合わせ。菊池雄星という憧れの存在がいなかったら、大谷はどこの高校に進学して、どのような野球人生になっていたのだろうか。
大谷翔平が菊池雄星に持つイメージとは?佐々木監督の第一印象は?
大谷は中学3年生の時の菊池雄星について、岩手県内で菊池雄星といえばすごい選手で、岩手県にもこんなすごい選手がいて、岩手県からもこんなにすごい選手が出てくるのだなと驚いたのを覚えていると語っている。あれだけ注目され、怪物みたいな選手はそれまで岩手県にはいなかったので、憧れみたいなものはあったと話す。
中学時代の大谷は、なかなか比較対象がいなく、自分がどれだけの選手かわからなかったようだ。全国にはもっとすごい選手がいるのだろうなと思っていたという。だが、菊池雄星という全国レベルの投手を間近で見ることで、憧れであり目標とする存在を見つけることができたのだろう。
佐々木監督がはじめて大谷を見た時には、菊池雄星と出会ったときと同じ感覚を覚えたようだ。もう二度と菊池レベルの選手には出会わないと思っていたが、菊池の卒業とともに大谷という逸材が花巻東高校に入学してきた。
大谷翔平と菊池雄星の関係まとめ
菊池雄星の存在が無ければ、花巻東高校の大谷は見ることができなかったかもしれない。さらにいえば、大谷が中学3年生の時に菊池が高校3年生という年齢差でなかったら、また違った形になっていた可能性も十分にあり得る。
中学3年生の大谷とって、全国レベルの怪物菊池の野球を身近で見ることができたのは、非常に大きかったことだろう。
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