2011年9月11日、花巻東高校の大谷翔平はプロ志望届を提出し、日本プロ野球界に進むことを決めた。しかしながら、ドラフト会議が開催される直前にアメリカ挑戦することを宣言した。
大谷が高卒メジャーリーグ挑戦を決心したのは、ある日本人スカウトの存在がある。ここではその日本人スカウトについてみていきたいと思う。
目次
大谷翔平、プロ志望届提出もドラフト会議直前にメジャーリーグ挑戦を表明。
ピッチャーとして、またバッターとしてプロ野球の多くの球団から高評価を得ていた大谷は、プロ志望届を提出した。しかしながら、ドラフト会議が開催される4日前の2012年10月21日、自身の進路について報道陣の前で以下のように話した。
「アメリカでプレーさせていただくことを決めました。最初から(高卒ですぐ)行きたい夢がありました。若いうちから行きたかった。ドラフトでどういう結果になっても、アメリカに行きたい気持ちが強いですし、ピッチャーとしてやりたいと思っています」
引用:大谷翔平 野球翔年Ⅰ
過去の日本プロ野球からドラフト1位指名が確実視されている高校生が、アメリカの球団と直接契約したケースはない。一度は日本プロ野球界に進むことを決意した大谷が、アメリカ行きを決意した理由は何なのだろうか?
大谷翔平が花巻東高校在学中にメジャーリーグ挑戦を考えるようになったきっかけとは?
大谷はプロ野球選手になりたいと思って野球をはじめた。そのため高校に入学した時にはメジャーリーグに行くことは全く考えてなかったという。しかしながら、高校3年間の間、最初から大谷の存在を気にかけ、見続けていたメジャーリーグの球団のスカウトがいた。
そのスカウトの存在が大谷にとって自信になった。甲子園に出ていない時から大谷の可能性を信じ見続けていたことが、大谷の心を動かし、そのような人のいるところで野球をやりたいと思い、アメリカに行きたいと思うようになったようだ。
そのスカウトの存在が無ければ、大谷はメジャーリーグに行きたいとは思わなかったとも語っている。
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小島圭市氏とは?ロサンゼルス・ドジャース日本担当スカウト。大谷翔平の高卒メジャーリーグ挑戦表明のきっかけとなった人物。
大谷が花巻東高校入学当時から注目していたメジャーリーグのスカウトというのは、ロサンゼルス・ドジャース日本担当スカウトの小島圭市氏。小島氏は大谷の可能性を見出し、花巻東高校に通い続けた。
日本のプロ野球のスカウトは、結果が出ている良い時には頻繁に大谷のところに来たようだが、調子が悪い時も、負けている時も、怪我をしている時も、来てくれたのは小島氏だけだったようだ。
小島氏の存在は大谷に自信を与え、励まし、良いところも悪いところも全て理解しており、その上で評価もしてもらったので、小島氏の下で野球をやっていきたいと思うようになっていった。
大谷翔平、高卒メジャーリーグ挑戦を目指した理由まとめ
花巻東高校在籍中の大谷は、甲子園で結果を残すことはできなかった、プロからは注目される存在であった。そしてスカウトの中には、ロサンゼルス・ドジャース日本担当スカウト小島氏がいて、大谷のメジャーリーグ挑戦を後押しすることとなった。
だが、大谷は最終的には日本ハムファイターズに入団することを決める。メジャーリーグ挑戦表明から、将来を嘱望された高校生にどのような心境の変化があったのだろうか。
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