小学2年生から硬式のリトルリーグで野球をはじめた大谷翔平。小学校時代から抜群の野球センスを発揮し、当時から一目置かれる存在であった。
ここではそんな大谷の伝説的な偉業を紹介していきたいと思う。
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大谷翔平、水沢リトルリーグ時代の全国大会準決勝で6イニング17奪三振。
小学校6年生の頃には岩手県内で大谷のボールを打てる打者は一人もいなかったという。リトルリーグは12歳まで試合出場が可能なため、大谷は中学1年生になっても水沢リトルリーグで試合に出場した。
その年の水沢リトルリーグは岩手県内では無敗で、東北大会を勝ち抜き全国大会出場を決めた。全国大会の準決勝で大谷は素晴らしいピッチングを披露する。
6イニング制の試合であるため、取れるアウトの数は18。その18アウトの内、17個の三振を奪ったのだ。ヒット1本打たれたため完全試合とはならなかったが、フォアボールもゼロの準完全試合。打者19人に対して17個の三振なので、その奪三振率の高さは尋常じゃない。
この偉業を成し遂げたのは岩手県内の試合ではなく、全国大会の準決勝。当時の最高峰の選手が集まる試合での出来事である。大谷が三振を取るたびに球場は静まり返って沈黙していたという。
父親であり監督の大谷徹が認めた大谷翔平の野球センス・才能。
父親であり、水沢リトルリーグの監督であった大谷徹は、当時の大谷について以下のようにコメントしている。
「翔平は、教えたことがすぐできるようになりました。その早さには感心しましたよ。教えてもらったことを練習したからと言って、すぐに身につくものじゃないのに、こういう打ち方をしなさい、こうやって投げなさいと教えると、すぐにできるようになる。あれを野球センスって言うんですかね」
若くしてメジャーリーグに挑戦し、活躍する大谷。やはり小学校時代から野球の能力は他の選手とは違っていたようだ。ただ大谷は野球センスがあったから上達したのではなく、しっかりと練習することで圧倒的な才能を発揮していたようだ。
大谷翔平、水沢リトルリーグ時代のエピソード。当時から二刀流の才能が。
水沢リトルリーグ時代のエピソードとして次のようなこともある。
キャッチボールで他の選手が助走をつけて投げ、ツーバンドやスリーバンドでやっと投げるような距離を、小学生の大谷は助走もなしでその場に立ったまま、ライナーのノーバウンドで投げていたという。
バッティングでは、大谷は引っ張り禁止の中、逆方向へ強い打球を打つ技術を身に付けていた。練習場所が胆沢川の河川敷のグラウンドでライト側に川が流れていたため、大谷が引っ張ってしまうと簡単に川まで到達してしまうため、レフト方向に打つ練習をしていたという。メジャーリーグ1年目で見せている左中間方向への豪快なホームランは、小学校時代の練習で培われたようだ。
このように大谷は小学校時代からずば抜けていた。当時を知る人たちからすれば、大谷が二刀流に挑戦して結果を残しているというのは、はじめから疑うことはなかったようだ。
大谷翔平伝説、水沢リトルリーグ時代の全国大会準決勝で6イニング17奪三振まとめ
今や日本を代表する選手となった大谷翔平。リトルリーグ時代から才能も実績もずば抜けていたようだ。現在は怪我の影響で打者のみの出場となっているが、やはり投手としての大谷も見てみたいし、すごい結果を残せるのではないかと期待してしまう。
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